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肉を食べるという選択をしている私とベジタリアン

こんにちは。

みなさまいかがお過ごしでしょうか、ぺこ(@sekaigurashi)です。

 

今日はベジタリアンのお話をしてみたいと思います。

あなたはお肉を食べますか?食べるという方は、ベジタリアンに出会ったことはありますか。私がベジタリアン、またはヴィーガンの方に出会ったのは、全て海外においてです。

 

日本でベジタリアンというとかなり少数派・・・マイノリティーで変わった人という印象になるかもしれませんが、海外では日本よりベジタリアンという存在がメジャーな気がします。

それってどうしてなんだろう?と考えることがあるんです。

 

 

私が出会ったベジタリアン

私が最初のベジタリアンに出逢ったのはタイでした。タイ人の彼女は英語が上手で、よく笑い、大らかで、リーダーシップもある、とても魅力的な人でした。

ベジタリアンというより、ヴィーガンに近く、動物性の原料が入ったスナック菓子やドレッシング類も口にしませんでした。自分の信条をあまり語ることはありませんでしたが、多国籍飲食業企業の倫理観の欠如した食肉工場などに強い抵抗感を持っているようでした。

彼女の考え方はこれまで私が出会ったことがなかったもので(はじめてベジタリアンに出会ったのだからあたりまえのことだが)、自らの肉を食べないという行動で示すほどの信念を持った彼女に強い衝撃を受けたのだと思います。

 

私が出会った2人目のベジタリアンはインドで出会った旅行中のドイツ人でした。アグラーで同じ宿に泊まっていた彼女となりゆきで行動を共にすることになりました。同じ列車でバラナシに向かうということがわかったからです。その後バラナシでは同じ宿に泊まったりして、なんかわからないけど、一緒にいても疲れない人でした。インド人との交渉も上手く、いつの間にかインド人とも仲良くなっています。

はっちゃけた溌溂とした明るさを持つかと思えば意外なほど真面目で、時に影もある彼女はベジタリアンになってまだ1年ほどとのこと。肉を食べない方が体調が良いのだと語っていた彼女は、ベジタリアンへの強い思いからというよりも、本当に体調管理からのようで、肉は食べないものの、私が美味しいから一緒に行こうと誘ったラッシー店はこれなら食べても体調が悪くならないと、その後も通っていたようでした。

 

インドはベジタリアンが浸透した国であるため、インドにはベジタリアン観光客が多く、比較的良く会います。今回の南インドでは、マイソールで出会ったドイツ人のおじさんもベジタリアンのようで、にんにくも食べないようでした。SEE Academyで学んでいる日本人にもベジタリアンの人が何人もいて驚きました。

 

 

肉を食べるということ

「肉を食べる」という行為は、日本ではほとんどの人が生まれながらにしている行為で、あまり疑う機会がないような気がします。

豚肉を見て、豚をリアルに連想し、牛肉を見て、牛をリアルに連想するのではなく、スーパーに並んでいる薄切りの肉は、初めから「肉」であるような感覚です。命を奪うことを連想するようなものは、まずなく、分厚いベールに包まれています。よって私たちは「死」への嫌悪感はなく、ごくあたりまえに肉を食べています。

でも、なぜか、海外にでると、より肉が肉肉しくリアルに存在します。マーケットにいくと必ず肉屋があって、毛を削がれて眠っているような鶏や、豚の顔、足、腸などが普通に並んでいたりします。それは例えば、台湾や中国、タイをはじめとする東南アジア(インドにもそういう店はある)においてです。その肉屋がかたまるエリアは独特の匂い・・・獣臭のような匂いがします。それを見ると、日本で20年以上育った身としては衝撃が強く、恐ろしくて、台湾で素食と呼ばれるベジタリアン食が浸透しているのもわかる気がしたのです。

生活が便利になって、今は自分で家畜を〆るなどという経験をする人が極端に少なくなって、自分が食べてる「肉」を命を殺しているという感覚ととても遠いところにおいているような気がします。それは便利で、罪悪感がないとても有難い話ではあるんですが、個人的には、もし私が鶏を殺せないなら、自分が殺せないものを食べるということに、違和感があるのは事実です。

知り合いからアフリカで牛の首が切り落とされるのを見てベジタリアンになったという人の話を聞いたことがありますが、なんだかわかるような気がしました。私はまだ、鶏も豚も牛も羊も実際に殺されるところに出会ったことがありません。

 

私は今回のインドで、ハラル認証の肉を一度だけ買いました。鶏の肉です。毛は抜かれた、皮付きの、頭の無い鶏肉一羽を小さい肉の塊に切り分けてくれました。まだ骨がついていて、調理の際に自分でそれを切り落としたり、引っ張ったり、血合いの部分を取ったり、もうそのまま煮込んだりしました。手羽先や手羽元というものを、自分で作りました。スーパーでもう調理するだけになっている以外の肉を触るのは初めてでした。なぜだか泣きそうでした。より、「肉」だと感じました。

その肉はルームメイトと美味しく頂きました。

 

 

日本とインドとベジタリアン

ベジタリアンの外国人が日本に来た時、食べ物に困るという話を聞いたことがあります。例えばドレッシングや、スープの素、目に見えないところに肉由来のものが使われているからです。

 

対してインドでは、あらゆる食べ物にVEG(ベジ=ベジタリアン)用かどうかの表記がされています。日本の国旗の赤い部分を緑にしたようなマークです。レストラン自体は、VEGのレストランとそうでないレストランにそもそも分かれています。また、VEGレストランじゃないレストランでも、VEGの料理と、VEGじゃない料理があります。

それはベジタリアンの人にとって、とても暮らしやすいようです。なんていっても、どこにでもVEGの食べ物があり、それがVEG料理かそうじゃないかの判断が容易になるので。

 

インドではカースト制度というものがありますが、その一番上の階級とされるバラモンはより厳格な戒律を重視するため、聖なる動物である牛はもちろん、一切の肉を食べない人も多いです。

インドでは食事に関して、低いカーストの人と食事を共にしない風習があり、食べるレストランも異なる・・・とか、低いカーストの家ではごはんを食べないとかいう話を本で読んだことがあります。

 

 

今は多少こういう風習は薄れているのかもしれませんが、食に対するしきたりが色濃く残っているのは確かで、VEGのレストランがはっきり分かれているのもその表れかなと思います。

 

 

それでも私は肉を食べているという矛盾

なんだかんだと考えるくせに、私は今も普通にお肉を食べています。でも海外への旅を通して芽生えた「肉」に対する違和感は、インドでの生活を通してまた少し大きくなったような気がしました。それでも私がお肉を食べるのは、私がお肉を美味しいと思い、食べたいと思うからです。それならば私はいつか、その機会が巡ってきたら、鶏か豚か牛かわからないけれど、〆るということを経験するべきな気がします。

果たしてそれが私にできるのか。・・・できないような気がします・・・。

・・・私の意志が弱くてベジタリアンになれないにしても、大量生産される食肉や、食肉生産のために消費されるエネルギー、持続可能性、多国籍企業の光と影、グローバル化時代の経済など、もっと知りたいこと、考えたいことがたくさん出てきたと感じます。

私がベジタリアンになる日はくる、のか???

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ぺこ
海外旅好きフリーランサー